格闘技徒然草

MMAを中心とした格闘技情報&観戦ブログ

★「西澤孝」氏の戦績

永田議員のメール事件で今話題になっているフリーライターで元シューター・西澤孝氏の修斗時代の戦績について調べてみました。話題になっているからどんなかな、と思っただけで、事件についてはさっぱり興味ありませんが。
まずはZAKZAKから、西澤氏の記事を。
http://www.zakzak.co.jp/top/2006_03/t2006030323.html
この中で、修斗(シューティング)時代についての情報は以下の通り。

 「彼は91年8月に総合格闘技修斗』でプロ格闘家デビューし、戦績は94年までで1勝2敗。ただ、その間にリング外で様々なトラブルを起こし、当時の修斗の実力者が『あいつはウソツキだから近づくな』と周囲に話していた」と語るのは、格闘技ジャーナリストの片岡亮氏。

 フリー記者の格闘家としての実力を、片岡氏は「素人に毛が生えた程度だった」と評する。実際、デビュー戦と翌年の2戦目は1分強で“秒殺”され、3戦目こそKO勝ちしたが「相手はデビュー戦だった。お粗末な試合内容で後楽園ホールの観客から失笑が漏れていた」という。

とりあえず、西澤氏のデビュー戦は1991年8月3日のシューティング後楽園ホール大会。この時の所属は「シューティングチーム太田」となっているが、これがどんなものかは不明。この当時はまだ修斗がオープン化する前であり、修斗オフィシャルジム以外の選手は上がっていないはず。相手はシューティングジム津田沼の村上選手で、1R1分12秒、アキレス腱固めで敗れている。なお、西澤氏は32歳とのことなので、この時点では17〜18歳ということになるが・・・。
翌年の2戦目については不明。
3戦目は94年3/18の後楽園大会。デビュー戦で敗れた村上選手と同じ津田沼に所属を移している。相手はSTG横浜のチャート鶴崎選手で、1R0分53秒でKO勝ち。この日は伝説の新格闘プロレスとの対抗戦で、この試合以外の3試合は全てシューターvs新格プロのプロレスラー。3試合ともシューターが秒殺勝ちしている。なお、ZAKZAKの記事中には「お粗末な試合内容で後楽園ホールの観客から失笑が漏れていた」とあるが、果たして12年も前の第1試合のことをそんな克明に覚えているものなのか疑問。
以上の戦績データからは西澤氏の実力は読みとれないが、今より遙かに層が薄いとはいえ、プロで3戦もしている選手の実力が「素人に毛が生えた程度」というのは言い過ぎじゃないかと。