格闘技徒然草

MMAを中心とした格闘技情報&観戦ブログ

★HERO'S参戦が決まった國奥麒樹真とは

Both Rodrigo and Royler are facing Japanese opponents.
Rodrigo in a single match against Pancrease Champion KIUMA KUNIOKU. The fight is scheduled for 3x5 min founds under MMA rules. Rodrigo, who recently moved to LA has been training hard for the fight with his cousin Royce Gracie, a standup coach Nono as well as Jiu-Jitsu Black Belt Sean Williams.

ホドリゴとホイラーはどちらも日本の相手と戦います。
ホドリゴはシングルマッチパンクラスのチャンピオン国奥麒樹真と戦います。

ニュース的にはすでに乗り遅れた感があるので、ここでは國奥にスポットを当ててみたいと思う。
國奥がプロ格闘技の世界に入ったのは15歳の時。中学卒業とともに「プロフェッショナルレスリング藤原組」の練習生となるが、ほどなく船木・鈴木らが離脱・パンクラスを旗揚げ。國奥は彼らと行動を共にする。しかし、年齢的に身体ができあがっていないのと、ケガ等もあり、デビューは遅れた。パンクラスで入門した新人がデビューを飾るのを後目に練習生としての生活を続け、パンクラス設立4年目の96年、ついに念願のデビュー。この時リングネームを「将竜」から「麒樹真」に変更している。発売中の格闘技雑誌「アッパー」でも間違えているが、デビュー前の「将竜」も実はリングネームであった。なぜか練習生なのにリングネーム(リングには上がらないが)がついていたのだ(ちなみに本名は道明)。
デビュー前から「國奥は強い」という先輩たちの評判があったのを裏付けるように、この年の10月にガイ・メッツァーを破りランキング入りを果たす。さらに12月にはフランク・シャムロックに判定で勝利。後輩でほぼ同期デビューだった近藤にここまで後れをとっていたが、ランキングの上では王者の船木に次ぐナンバー2の位置まで登り詰めた。しかし、翌年の近藤との直接対決では判定負け。
この辺りから、パンクラス日本人選手としてもっとも小柄だった國奥は体格の壁に悩まされるようになる。97年はデルーシア、ルッテン、メッツァーと外国人勢に連敗、12月にはパンクラス常連咬ませ犬のキム・ジョンワンにも秒殺負け。翌98年も外国人選手には分が悪く、リオン・ヴァン・ダイクやエヴァン・ターナーに連敗を喫する。当時は無差別級だったためこうしたマッチメークも組まれていたが、体重差が10kg以上あるという、現在では有り得ないマッチメークであった。
しかし、11月には初対決となった師・船木との対戦で、膝十字固めでロープエスケープを奪い勝利。ちなみにこれが船木のパンクラスルールラストマッチとなった。國奥はパンクラス選手としてはいち早く出稽古を取り入れ、この当時は新宿スポーツセンターで菊田軍団(後のグラバカ)で練習する姿がよく見られたという。
99年3月、後楽園ホールで近藤とのワンマッチが組まれる。ここまで3戦1敗2分けと分は悪かったが、國奥は打撃・ポジショニングに圧倒。判定で近藤から初勝利を奪う。個人的には、これが國奥の現在までのベストバウトだと思う。9月、王者となった近藤の初防衛戦の相手として國奥は生涯初のタイトルマッチに挑むが、わずか34秒、跳びヒザ蹴りでKOされてしまう。この敗戦で何かが壊れたのか、以後の國奥の試合はスイングしない、非常に固くつまらないものになっていった・・・。
2000年、パンクラスはオープン・フィンガー・グローブとともに階級制を導入。体格の壁に悩まされてきた國奥にとっては朗報であったが、ミドル級王座決定トーナメントでは準決勝で初代王者となったネイサン・マーコートに敗退。ところが、3ヶ月後の防衛戦でまた國奥が挑戦者となったため、「えこひいきだ」とさんざん批判される。この試合はドローで王座奪取ならず。
翌01年は無敗のまま年末を迎え、再度マーコートの王座に挑戦。前回ドローでその後勝ちを重ねていたため、この挑戦自体はそれほどおかしなものではなかったが、マーコートは1ヶ月前にも防衛戦を組まれており、パンクラスはまたも國奥びいきだと批判をうける。この試合で判定3−0で勝利し、念願のタイトルを手に入れる。
02年、國奥にとってはベストの階級であるウェルター級(75kg以下)が新設され、國奥は日本人選手3名を下し初代王者に。パンクラス初の2冠王となる。初防衛戦にも成功するが、12月には3年続けてマーコートとのタイトルマッチ。KO負けでミドル級のベルトを失う。
03年、鈴木みのるパンクラスMISSION移籍に伴いismの道場長となった國奥は、8月の両国国技館でクラウスレイ・グレイシーとの対戦が組まれる。グレイシー越えを期待されたが、総合デビュー戦となるクラウスレイに打撃で押され判定負け。ウェルター級のベルトは防衛したものの、翌04年に三崎・竹内と日本人選手に連敗。竹内戦では、敗れた後「みんな大好きです。ありがとう」とマイクアピールをする。これは國奥の、パンクラスファンへの別れの挨拶だったのかもしれない。
4ヶ月後の8月、退団を発表しフリーとなった。退団の理由は「今までパンクラスに守られていたのを捨てて、一から自分の実力を試していきたい」というものだったが、後のインタビューでは金銭的な不満もあったとのこと。退団会見で「今後のことは全く決まっていない」と話していたが、その言葉どおりどこからも声がかかることなく、現在まで雌伏の時期が続いていた。

HERO'Sで対戦するホドリゴ・グレイシーは80kg台中盤の選手で、國奥にとってはまたも体格差のハンディがある試合となる。身長169cmの國奥は、HERO'Sミドル級リミットの70kgまで減量できるのではないかと思うのだが。今回声がかかったのはHERO'Sの駒不足のおかげで、特に強力なコネがあるわけではないと思われる。次回以降も呼ばれるためには、結果のみならずインパクトのある試合内容も必要とされるが・・・。15歳の時からパンクラス所属選手として戦ってきた國奥が、初めて一人になって迎える「再デビュー戦」。生まれ変わった姿を期待したい。