格闘技徒然草

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★アライケンジ引退

http://www.kakutoh.com/pc/news/shosai.php?id=5879

パンクラスismのアライケンジが12日、神奈川・P'sLAB横浜で記者会見を行い、現役を引退することを発表した。アライは12月5日(日)に東京・ディファ有明で開催される『PANCRASE 2010 PASSION TOUR 第6回ism主催興行』で鹿又智成(パラエストラ八王子)相手に引退試合を行うことも決定した。

フェザー級 5分3R>
鹿又智成(1位/パラエストラ八王子)
vs
アライケンジ(2位/パンクラスism)

引退試合ではあるがエキシビジョンではなく通常の試合で行われる。
アライケンジは1979年生まれの31歳。デビューは2001年のフランス。パンクラス所属選手としては珍しく、海外でのデビュー戦となった。相手は後にPRIDEで桜庭と対戦したジル・アーセン(一本負け)。
翌年のパンクラスデビュー戦では、旗揚げメンバーの冨宅飛駈を負傷TKOに追い込み勝利。その年のネオブラッド・トーナメントに出場するが、準決勝で先輩の北岡に一本負け。
アライが名を挙げたのは2005年。國奥麒樹真の返上したウェルター級のベルトを賭け、4人でのトーナメントが開催されたが、井上克也の対戦相手として勝ち上がった北岡が負傷欠場。不戦敗に。井上はそのまま暫定王者となり、井上の暫定王座防衛戦に変更された。その挑戦者として、アライが急遽ランキング10位に入れられ抜擢。明らかに直前の欠場による応急処置であったが、ここでアライは井上からパンチで2度もダウンを奪うなど大健闘。最後は逆にKO負けしたが、強烈な印象を残した。この試合は今でもアライのベストバウトの1つに数えられる。
翌2006年にはMARSで修斗のタクミと対戦し、1R終始グラウンドでバックを取られ劣勢だったが、2R開始早々のパンチで逆転KO勝ち。そして4月に初の(そして唯一の)メジャー進出となる武士道参戦。この試合も、今成の欠場を受けての緊急オファーだったが、ジェンス・パルバー相手に真正面からの打撃戦を展開し、KO負けしたが、解説の高田からも賞賛された。
パンクラスは当時重量級が中心だったため、アライも体重を増やしてウェルター級で試合をしていたが、体重が増えにくい体質のため、常にリミット以下で試合をしている状態だった。次第に軽量級が充実したことにより、ライト→フェザーまで階級を落として、ようやくベストウェイトで試合ができるようになった。
しかし、2009年の2月に、戦極フェザー級GP出場をかけた金原正徳との対戦でKO負け。これが格闘家人生の分岐点だった。勝った金原は戦極フェザー級GPを制し、年末にはDynamite!!でKIDと対戦した試合が全国中継されることになる。もちろん、アライが勝っていたとして同じ結果になったはずはないが、金原との対戦前は互角と見られていただけに、その後の両者の差が著しく感じる。
奇しくも、金原が両親に「25歳までは格闘技を続ける」と約束していたように、アライも両親と「格闘技は30歳まで」と約束していた。そして、この年アライは30歳。しかし、金原がその期限を1年オーバーし戦極に出場したのと同じく、アライも両親に頼み込んで、もう1年格闘技を続けることになった。しかし、そこでアライは腰を痛めてしまい、格闘技を続けるどころか一時は寝たきりになってしまった。引退の理由は怪我だけではないものの、コンディションが万全ならまだ続ける気持ちを持てたかもしれない。
アライの魅力はブーメランパンツと一撃で相手の意識を刈り取る打撃。パンチやハイキックで失神KO劇を何度も演出してきた。一方、ディフェンスや打たれ強さには難があり、打ち合いでKO負けも多かった。
本人は高橋義生に心酔し、バックボーンのレスリングを活かし、倒されずに倒すスタイルを標榜していたが、反面、一度倒されてしまうと、下になったまま為す術なくなってしまうことも多かった。
引退試合は昨年2度対戦し、1敗1分の鹿又戦。ランキング1位の鹿又にとっては、前戦から1ヶ月のインターバルで、アライには引き分けの後に勝っていて決着はついている。、受けても何のメリットもない試合。それでもあえて受けたのは、鹿又の男気だろう。アライも「借りを返してリベンジして終わりたい」と宣言しているので、過去2戦を超える内容を期待したい。