格闘技徒然草

MMAを中心とした格闘技情報&観戦ブログ

★謙吾引退

自身のブログにて発表。
http://kengo.weblogs.jp/blog/2008/06/10-b0d3.html

突然ですが、この度、格闘家を引退することになりました。
これまで支えてくれた仲間、応援してくれた皆さんに感謝しています。

本名渡部謙吾。1976年1月31日生まれ。
1998年、パンクラス入団を発表。きっかけはバイト先の飲み屋で高橋義生に誘われたことだった。ラグビーの名門・大東文化大でレギュラーを務め、社会人チームからの誘いもあったが、それを振り切って格闘技の道へ。日本人離れした体格と身体能力、スター性で入門時から注目を集める。
入門9ヶ月(つまり格闘技歴9ヶ月)でデビュー戦。相手は当時パンクラス最強と言われていたバス・ルッテンだった(なお、ウィキペディア等では当時のルッテンが王者であったように書かれているが、97年にタイトルを返上しており、この時点では無冠である)。わずか2分58秒で3回のダウンを奪われTKO負けを喫したものの、ルッテンを相手に正面から打ち合って引かせる場面もあり、大器を感じさせた。そしてこれが謙吾生涯のベストバウトとなってしまった。
会場にはヒクソンも来場しており、試合後にルッテンはヒクソンへのアピールを行ったが、その時既にヒクソンは会場を後にしていた・・・。
2戦目でメインに抜擢された謙吾はジェイソン・ゴドシーと対戦。王者時代の近藤を破ったこともあるゴドシーに、テイクダウンからの掌底連打→チョークで何も出来ず完敗してしまう。格闘技のバックボーンを持たない謙吾には、より単純なルールの方が向いていると思われたため、当時実験的に組まれた「ノールール系スペシャルマッチ(OFグローブを着用し、現在の総合のルールに近い)」の試合も組まれたが、いずれもドローに終わっている(時間切れの場合は判定無しでドロー)。99年4月のボブ・スタインズ戦の後には、当時の道場長・船木が「謙吾はあと6年待ってください」という名言を残した。
スタインズ戦後、ラグビー時代に負傷した膝靱帯の手術のため、1年半の欠場。その後は勝って「ついに大器が花開いたか」と思わせたこともあったが、明らかに格下の相手であり、ちょっと実力のある相手には惨敗という試合が続く。そして2001年のDEEP2nd Impactでは、総合デビュー戦(というか総合の練習自体していたかどうか怪しい)ドス・カラスJr.相手に、スープレックスで腕を折られて秒殺負けするという壮絶な敗北を喫し、すっかりネタキャラに。2003年、新日本プロレス主催のアルティメット・クラッシュでは、今をときめくLYOTOのデビュー戦の相手を務めている(判定負け)。
船木発言から6年後の2005年、パンクラスを離脱し渡米。活動の拠点をアメリカに移す。2006年9月のK-1ベガス大会で突如K-1デビュー。USA GPの一回戦でグッドリッジと対戦するも秒殺KO負け。そして2007年2月、ケージフォース鳥取大会において、WAKASHOYOを1R20秒TKOで下したのが、現役最後の試合となってしまった。
ブログによれば、この試合での負傷で1年の欠場に追い込まれ、今年4月に復帰する予定だったが、その試合も流れてしまったとのこと。「訳あって出場できなくなった」とのことなので、ひょっとしたらメディカルチェックに引っかかるなどの健康上の問題で選手活動が続けられなくなったのかもしれない。
結局、最後まで大器は花開くことはなかったが、謙吾には「いい夢見させてもらったよ」と言いたい。お疲れ様でした。